キハダの地産化と林業の活性化を実現したい
修験道の開祖と言われる役小角が、奈良県天川村にある大峯山を修行の地にしたのは飛鳥時代のこと。それから1300年以上、天川村は山岳信仰・修験道の行場として栄えてきた。熊野川の最源流域にあり、水と森に恵まれた風光明媚なこの村は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の主要な構成要素である文化的景観を保った地域といえる。
伝承によると、疫病が流行した際に、役小角が陀羅尼助という薬をつくり、多くの人を救った。以降、陀羅尼助は全国から集まった行者の手に渡るようになり、彼らが土産品として持ち帰ったことで全国に広まったのだという。陀羅尼助は今も、和漢胃腸薬として親しまれている。
陀羅尼助の原料は、キハダという落葉高木の樹皮を乾燥して作る黄檗(おうばく)だ。明治以降、村内の自然林はスギやヒノキの人工林に置き換えられたため、現在は中部地方からキハダを仕入れている。大峯山陀羅尼助製薬有限会社の銭谷社長は「陀羅尼助は、この村唯一の地場産業と呼べるものです。天川村の人口は約1400人。そのうち20人から30人くらいは関わっています。3年ほど前から自分たちでキハダの植樹もおこなっており、これまでに800本ほど植えましたが、まだまだ足りません」と話す。
村の97%を森が占める天川村は、林業が主要産業の一つであり、日本有数の優良材を生産する吉野林業を担ってきた。しかしながら、今は林業従事者の減少と高齢化が進んでいる。天川村の車谷村長は「林業不況で山の再生が進まず、放置林が増えています。吉野杉のブランド力は依然ありますが、コストの問題で山から木を出せない状態です」と話す。
洞川温泉で有名な洞川地区の自然と歴史を守る特別地方公共団体「洞川財産区」が管理する山でも、約10haの伐採跡地の扱いが課題になっていた。スギやヒノキを植樹したとしても、伐採できるのは約70年後。そのとき本当に木材の需要があるのか、下刈りや除伐などの手入れを続けられるのかという問題がある。
地域の森林の持つ力を最大限に生かすために結成された天川村フォレストパワー協議会は、洞川財産区とともに、10haの伐採跡地をどう活用していくのか話し合いを重ねた。そこで出たアイディアが、キハダをはじめとする付加価値の高い木の植樹である。
天川村フォレストパワー協議会の豕瀬さんは「キハダの地産化を目指すのはいいのですが、10haの伐採跡地で再造林するとなると、その広さゆえに大きな費用が発生する。そこで地域課題の解決への取り組みを支援するみらい基金への申請を行うことにしたのです」と話す。
伐採跡地を天川村の特産物が生まれる場所に変える
伐採跡地に植林するのは、陀羅尼助の原料になるキハダや、ホオノキ、クロモジである。そのほか、漆の原料になるウルシをはじめ、イタヤカエデ、ミズナラ、トチ、カツラなどが検討されているという。
ホオノキは、天川村名物の朴の葉寿司に使われる。朴の葉で寿司を包むと防腐効果が期待でき、森の爽やかな香りづけにもなる。しかしながら、葉っぱがやわらかい時期でないと寿司を包むことができないため、初夏限定のご馳走だった。これからは、プロトン凍結という手法をとり、朴の葉の色艶と香りをそのままの状態で冷凍保存することで、年中楽しめる料理にしていく。
クロモジは希少価値の高い高級樹木。葉っぱや枝からアロマオイルを抽出して、商品化する。クロモジの葉っぱを使ったお茶の研究もこれから行われるという。
「キハダは収穫までに20年の歳月を要します。その間も森林副産物の生成に努めていきたい。施業地の巡視や下刈りも継続的に行い、収穫時には計画的に伐倒していくつもりです。その跡地には再造林を行い、資源の循環を図ります」と豕瀬さんは話す。
植林を行う前に解決しなければならない課題もある。まずは、植栽地で必ず必要となる防鹿柵。これがないと鹿に苗木を食べられてしまう。山奥の急峻な斜面で作業をするため、崩壊しにくい作業道も必要だ。みらい基金の助成金は、苗木生産や林内作業道の敷設、防鹿柵の設置などに使われる。苗木の生産と、キハダの中皮の収穫作業は、農業生産法人「ポニーの里ファーム」と連携して行う。また、強度の高いキハダの芯材を家具に加工するなどして、商品化も目指していく。林内作業道は管理道としての利用だけではなく、自然観察をしたり、トレッキングをしたりなど、観光にも使えるようにするそうだ。
森と人間が共生し、自然の恵みで栄える村を守り続けたい
洞川財産区は、伐採跡地などの事業用地の提供と森林管理費用の負担を行っている。天川村で展開される新たな試みについて角谷区長は「地場産業と林業のコラボレーションで、地域活性を目指す新しい事例になると思います。陀羅尼助、朴の葉寿司、アロマオイルなど地元の特産物を生み出す挑戦にやりがいを感じています」と話す。
大峯山陀羅尼助製薬有限会社の銭谷社長は「子どもや孫の時代まで陀羅尼助を受け継いでいくために、植樹をしていくのは素晴らしいことだと思います。私が現役の間に収穫するのは難しいかもしれませんが、20年くらい経てば毎年収穫できるようになるでしょう。地場産業として陀羅尼助が脈々と続いていくことを願います」と期待している。
林業では、植林から伐採、再植林というサイクルが数十年という長い時間をかけて進んでいく。一世代で完結するものではなく、次の世代、そのまた次の世代へと山を託していかなければならない。そうした継承を続けていくために必要なのは、山の恩恵に感謝しながら山とともに暮らすというマインドだ。そのマインドを育てるワークショップを、ポニーの里ファームが開催している。キハダの樹皮はがし、草木染めや木工などさまざまな体験や陀羅尼助の製造工程の見学などをしてもらうことで、地域の人たちに陀羅尼助やキハダの魅力を知ってもらうのだ。こうした取り組みを通じて、都会にはないこの地域ならではの魅力を発信していく。
車谷村長は「この村に住んでよかった、この村に来てよかったと思えるように地域づくりをしたい。ここは山岳信仰の聖地であり、洞川温泉があり、御手洗渓谷があり、風光明媚な自然があります。天川村の魅力を守り、将来へとつなげていきたいです」と話す。
修験道が生まれた1300年以上前から自然の恵みを受けて栄えてきた天川村。これから先も、自然とともに暮らしていけるかどうかは、人間の手にかかっている。山が荒廃すれば、鹿や猪が田畑を荒らす獣害や、土砂崩れなどのリスクが深刻になる。その原因を引き起こしているのは人間だ。かつての天川村にあったような、森と人間が共生し、自然の恵みを存分に活かして行う村づくりは、まだ始まったばかりである。