「あのころの浜を取り戻したい」という切なる願い
山口県萩市にある江崎の浜は、穏やかな天然の入り江が特徴で、歴史のある漁港として知られている。江戸から明治にかけて海運を担っていた北前船の寄港地でもあった。「昔はイワシの漁が盛んで、いりこなどの加工場が地域に12社ほどありました。1993年に廃止するまでは大敷網(定置網)の水揚げもかなりありまして、江崎支店の正組合員も300人ほど。それが今は加工場4社、正組合員数57人です」そう話すのは、山口県漁業協同組合江崎支店の運営委員長を務める山根さんである。
江崎支店の女性部部長の児玉さんは最盛期をこう振り返る。「昭和50年代は町に魚が溢れていました。お祭りなどの行事にもたくさんの人が来て、花火が打ち上げられたりしていたのです。だから今、江崎大漁橋の上から町を見下ろすと涙が出ます。あれだけあった船が減ってしまったこと。町が寂れていったこと。あのころの浜を取り戻したいです」。かつて魚で溢れていた江崎の浜は、高齢化と過疎化が進み、魚を扱う店が近所に無くなったため、漁村に住んでいるのに魚を買いに行くのも一苦労という人も出てきてしまった。
漁業者が減った要因は、漁海況の変化による漁獲量の低下、漁業者の高齢化と後継ぎ不足などさまざまだが、定置網漁の漁具が破損し、廃業せざるを得ない状況になったことも大きい。山口県下の定置網漁において、「長門の通(かよい)か萩の江崎」と言われるほどの名漁場でありながら休眠状態になってしまっていた。
何か策を打たない限り、江崎の浜の復活はない。山口県漁業協同組合の本店、はぎ統括支店、江崎支店、山口県萩水産事務所などの関係者が集まり、議論を重ねていった。そのようななか、県が水中ロボットによる漁場調査を実施したところ、江崎沖で定置網漁をしていた漁場は今も優良であると判明。その事実が後押しとなり、地域の暮らしを下支えするには、漁業生産基盤の再構築が必要で、やはり定置網漁の復活が不可欠であるという結論が出たのだという。
漁協と行政が力を合わせて行う漁村の活性化
なぜ一度廃業した定置網漁が、地域活性化につながるのか。山口県漁業協同組合はぎ統括支店長の倉増さんはその理由をこう話す。「定置網漁は時化(シケ)に強いので、安定的な漁獲物の確保が可能になります。これが市場に対するアピールになる。しかも定置網漁は沿岸域で行うので船酔いが少なく、初心者でも比較的取り組みやすい漁法なのです」。漁業未経験から始めることができ、時間的拘束も少ないので、定置網漁で生活の基盤になる収入を得ながら、一本釣りや海士漁を覚えて漁業者としての仕事の幅を広げていくことが可能なのだ。
新規就漁者の受け入れ体制も整っている。山口県は漁業者の高齢化が進んでいるため、新規就漁者のための研修や空き家の改修費用を県や市で補助するなど支援制度が充実しており、江崎地区でも新規就漁者向けの住宅の準備を進めているところだ。定置網漁で用いる網の耐久性と、漁船の性能が大幅に向上していることも、復活の要因のひとつ。昔と比較して、ランニングコストと労働負荷がかなり軽減され、その分利益が見込める。また、以前は定置網の管理運営の難しさが課題だったが、復活後は運営責任を山口県漁業協同組合が持ち、維持管理を徹底していくことも決まった。
しかしながら、定置網漁を復活するためには多額の初期投資が必要である。山口県漁業協同組合の経営企画室長を務める渡辺さんは、みらい基金応募の背景をこう明かす。「山口県漁協は広域漁協のため、江崎の定置網をいちから漁協自営でやるとなると、遠く離れた瀬戸内海地区などとも話し合い、理解を得なければなりません。でも、みらい基金の助成が決まれば、漁協全体で進める流れを作れるのではないかと。それが応募のきっかけでした」。山口県萩水産事務所主任の勢登さんは、「水揚げが減るなかでコストカットして存続してきた漁協さんがみらい基金に応募したのは、攻めの姿勢の現れだと思います。行政の立場から見ても非常に心強いです」と話す。
江崎の浜がやろうとしている、地域のひと・漁協・行政が一体となって知恵を絞りながら、汗をかきながら漁業の持続的発展のための担い手の支援と、地域生活支援を行なうという方向性は、みらい基金の理念とも見事に合致していた。
江崎の浜の復活が、県内の漁業全体を勇気づける
定置網漁の準備が進み、江崎の浜の住民の表情が明るくなってきた。「漁獲量が増えたら月2回くらい朝市を開きたい。サワラ、ブリ、アジ、イカなど、江崎の浜の魚を見ていただいて、人を呼ぶことができればと思っています」と山根さん。江崎支店長の三宅さんも「この地域では毎年5、6人ずつ漁業者が減っています。魚が増えれば活気が戻るし、また人も増えると思うので、山根委員長と一緒に取り組みを続けていきたいです」と話す。女性部長の児玉さんは「魚が増えれば、加工できるものも増えます。それを道の駅や移動販売車で販売したり、買い物に行けない方に宅配したりすることで、地域の暮らしに貢献していければ。江崎の浜自慢の料理を全国に広めていきたいです」と声が弾む。定置網漁の復活後は、やまぐち農山漁村女性起業統一ブランドの認定を受けている「さざえ飯」「いか飯」「おまんずし」に新しい惣菜が加わり、6次産業化が進むことになりそうだ。
もちろん定置網漁が始まってすぐに江崎の浜が変わるわけではない。これから新規就漁希望者や水産高校出身者などを、時間をかけて育てていく必要もある。変化の兆しが見えるまで時間がかかるのは覚悟の上だ。「私が棺桶に入ったころに、みなさんに『よくやってくれた』と言ってもらえるような、そんな具合だと思います」と山根さん。
全国の漁村の多くが衰退しているなか、今回のプロジェクトがモデルケースとなることが期待されている。漁獲量が減ったことで陥った負のスパイラルを抜けて、新規就漁者の定住が進むという好循環が生まれれば、それが起爆剤となって、漁業全体に勇気を与えられるのではないか。そんな希望に溢れている。
「日本海銀行にはまだまだお金がある(日本海が豊かな漁場であることのたとえ)」というのは、山根さんの言葉だが、今も海が多種多様な命を育んでいることは、毎日のように船を出している本人たちがよく知っている。かつての名漁場が復活すれば、また魚で溢れる江崎の浜がきっと戻ってくる。そんなみらいを描きながら、漁協、行政、そして地域の人たちの手による取り組みは続いていく。