担い手不足の打開に向け、内海で定置網漁を再開
近海カツオの一本釣りと近海マグロのはえ縄漁が盛んで、近年の生産量はともに日本一を誇る宮崎県。ブリやカンパチ、マダイの養殖も盛んだ。延岡沖に押し寄せる大群のブリを一度に大量に捕えるために、日高亀市(ひだかかめいち)が考案した定置網の原形、「日高式大敷網」発祥の地でもある。
古くから漁業が盛んな宮崎も、今は担い手不足に苦しんでいる。輸入品や食生活の変化の影響で魚価が下がり、漁業就業者の収入を圧迫。跡継ぎとして期待されていた若者たちの多くは違う仕事に就いている。
「今は子供の将来を親が決める時代じゃない。ウチも息子が4人おるが誰も後を継ぎませんでした」と宮崎市漁業協同組合の代表理事組合長の矢部さんは話す。県内の漁業従事者はここ25年間で約半数に。定置網の数も最盛期の114カ所から73カ所に減少した。
しかしながら操業中の定置網の水揚げは安定し、内容もいいという。網の性能が向上し、また漁獲技術も進化したおかげで、定置網の数が減っているのにも関わらず、県内の水揚げは増加傾向である。「宮崎市の内海には、定置網の漁場としての実績があります。県南、県北の定置網は調子がいいし、再開するなら今じゃないかと考えていました」と矢部さん。そんな背景もあり、定置網漁の再開が地域から熱望されていた。
とはいえ、定置網漁を行うには何億円もの投資が必要である。個人はもちろん、漁協単体で負担するのも難しい。そこで県漁連と宮崎市漁協が協議し、共同出資で「宮崎県漁業販売株式会社」を設立した。
県漁連の参事の阪元さんは「定置網は漁港の目と鼻の先にあるから数時間で水揚げが可能。初心者でも入っていきやすい漁法です。しかも、法人で経営して、給料制にすれば従業員の生活の見通しも立つ。つまり、新規就漁者を受け入れやすいのです」と法人化の利点を話す。
水揚げは順調「地元の魚」は地域を元気にする
内海の定置網は2016年11月から操業する計画だったが、網と漁船の納入が3カ月遅れた。その分、関係者がやきもきする時間が増え、阪元さんは悪い夢にうなされることもあったという。「ウミヘビやゴンズイなど食べられないものばかり獲れる夢を見ました。ほかにも、ほかの魚を傷めるハリセンボンが大量に網に入ったり、網が壊れる原因になるクジラが入ったらどうしようと不安でしたね」と振り返る。
阪元さんの悪い予感は的中し、操業開始直後に、クジラが入るトラブルに見舞われ、その処理に追われた。そんな大変なこともあったが、ここまでは年間計画を上回るペースで水揚げが推移し、関係者は胸をなでおろしている。「やっぱりね、地元で獲れる魚は特別。定置網漁は魚の量も多いから、地元の人たちも喜びます」と矢部さん。定置網の復活を記念して行った春祭りでは、地域の人が大勢集まり大盛況だったそうだ。
漁船のメンバーには、網の販売会社からの紹介で加入した漁労長を除いて定置網漁の経験者はいない。一時的に漁を離れていた地元の漁業従事者5名が矢部さんの呼びかけに応じて乗船。操業開始後、福島県から漁業経験ゼロの新規就漁希望者がやってきた。彼らが定置網漁で経験を積み、さまざまな漁法を覚えて、将来的に漁業従事者として独立することが期待されている。
現在は漁労長が現場で漁業未経験者に定置網のイロハを教えている。台風シーズンは漁ができないので、その期間に新人たちは必要な資格を取得したり、網の販売会社や宮崎県の水産研修所で網の手入れや漁業全般の知識を深める予定だ。
福島県から移住した新規就漁者の鈴木さんは「昔から漁師に憧れていました。毎日が新しい発見の連続で、とても充実しています。ロープの結び方や魚の捌き方など、知らないことがたくさんあり、就漁してまだ1カ月半ですが世界が広がりました」と話す。毎日漁に出て、日に焼けて、みるみる漁師の顔になっていく鈴木さんを、家族も温かく応援しているそうだ。
内海の成功を足掛かりに、宮崎の漁業を盛り上げたい
内海は高速道路や空港が比較的近く、販売方法の展開を考えるうえでも有利な漁場である。現在、漁獲物は大半が宮崎中央卸売市場に運ばれているが、ゆくゆくは活魚の販売や加工なども手掛けていく。「さまざまな魚が獲れる定置網の特徴を生かすために、販路を増やして魚が高く売れる市場に送るようにしたい。もちろん、まず水揚げを安定させるのが先だけどね。それから先々のことを県漁連のみなさんと一緒に考えていきたいです」と矢部さん。「とにかく定置網漁を継続していくことが我々の使命。内海での成功が基盤になります。みらい基金の助成は、よりシケに強い網の購入と、3年間の運営費、そして次の漁場への投資に役立てます」と阪元さん。
法人による定置網漁の運用ノウハウを蓄積し、県内の他の漁業協同組合に横展開させるのは県漁連の上村さんの役割だ。「20年間、私は宮崎を離れて働いていましたが、地元の漁業に貢献したいと思って戻ってきました。さまざまな定置網の運営方法を学んで、まずは内海に一番合うやり方はどんなものなのか、答えを導き出したいと思います」と語る。内海ならではの定置網漁を確立しつつ、網に入った稚魚は海に戻すなど、海の資源を守りながら行う漁業を実現させたいという想いもあるそうだ。
未来への希望が膨らむ一方だが、県全体の沿岸地域の活性化を目指して、内海から「活力の拡大」に取り組む挑戦は、始まってからまだ数か月である。「我々はまだまだひよっこなんでね。ここが成り立たなかったら次に進めませんから、キッチリとやり遂げます」と阪元さんは決意を語る。
明治末期から大正にかけて宮崎の海の玄関口の役割を果たしていた内海。鉄道が普及するまで、客船も入港する交通・物流の要所だったこともあるという。それから100年が経ち、静かな港町に変貌した内海は、定置網漁の復活をきっかけに、宮崎の漁業の要所として再び輝きを取り戻そうとしている。