人を育て、土地を集め、富士見町を新しい産地にしたい

長野県諏訪郡富士見町は、名山に囲まれた美しい田園風景が広がる町だ。東には八ヶ岳がそびえ、西を見れば南アルプスの峰々が連なる。古くから農業が盛んだが、中山間地域のため広大な農地を確保するのが難しく、昭和初期から菊の栽培を開始するなど、園芸品目の生産に力を入れてきた。日照時間の長さ、高地ならではの冷涼な気候、美しい水などの特徴を生かして作るセルリーやカーネーションなどが有名だ。
しかしながら、若者の流出と担い手不足の問題が、この町にもある。小林町長は、その対策を考えるなかで、農業生産者として安定的に収益をあげているトップリバーの卒業生の存在を知った。農業生産法人トップリバー(以下「トップリバー」)は農産物の生産・販売だけはなく「農業従事者の育成・指導」に定評があり、将来独立することを前提として従業員を採用し、育成後は卒業生として全国に送り出している。「小林町長から『農業でしっかりと自立し、事業として発展させ、地域の雇用を増やせるような人を育てていきたい』と相談されたことが、『富士見みらいプロジェクト』につながっていきました」と、そう話すのはトップリバーの嶋崎社長。
一方の小林町長は、事の始まりをこう話す。「嶋崎社長と意気投合して、『遊休農地を集積して100haを目標にレタスの生産拠点を作り、農業で生計を立てられる人を増やしていこう』という話をしました。実のところ100haというのは勢いで口にした数字だったのです。それでも嶋崎社長は、実現に向けてのビジネスプランを作ってくれました。とても驚きましてね、我々も全面的にバックアップしましょうという話になったのです」
そうして富士見町が遊休農地をとりまとめて、地域と調整のうえ、トップリバーに貸し出すことに。そこでトップリバーがレタスの新規産地化を進め、新規就農者の育成拠点を作っていくことが決まり、「どの農地が貸し出せるのか」「どの生産者が担い手を探しているか」など、地域農業の状態を把握しているJA信州諏訪の強力なバックアップも加わって、「富士見みらいプロジェクト」がスタートした。農業を「地域の大黒柱」にすえる富士見町にとっては、地域の農業に新しい目玉が生まれ、新規就農と雇用による人口増も期待できる、非常に有意義な取り組みと言えそうだ。
JAと農業生産法人が協力することで生まれるメリット

トップリバーは、飲食店などの一般事業者を取引先として抱えている。つまりJAを通さずに販売することが主なため、JAとの連携が自然に生まれたわけではない。しかしながら、プロジェクトが始まる5年ほど前から、JA信州諏訪とトップリバーは協力関係を築いていた。「富士見町でレタスを作りたい」ということで、嶋崎社長が相談のために雨宮組合長(当時専務)の元を訪れたのがきっかけだったという。
「トップリバーのように独自の販路を持っている法人とは付き合いがなかったのですが、仲良くやればお互いにメリットがあると思ったのです。農地管理をしっかりやってもらうことや、正組合員になってもらうこと、生産物の一部を出荷することなどを約束してもらった上で、協力できることは柔軟に対応することにしました」と雨宮組合長は振り返る。
具体的な支援として、JAはレタス生産に必要な農機のレンタルや、トップリバー専用の肥料の提供などを行っているそうだ。ほかにもトップリバーには、JAが持っている情報やリソースを活用できるだけでなく、自前の販路以外のところにも生産物を流通させられるというメリットがある。
もちろんJA側にも、連携に対する期待がある。雨宮組合長の言葉を借りれば、「飯が食える農業」を地域に広げていくためのチャンスになるからだ。雨宮組合長は「私としては、トップリバーさんのような『飯が食える農業』をやっている人たちが満足してくれるJAを作りたいのです。だから嶋崎社長からいい刺激をもらっています」と教えてくれた。
ちなみに、嶋崎社長が今回の連携で一番期待しているのは、「農業生産法人とJAが協力して新しいことに取り組んでいる事実が世の中に広がること」なのだそうだ。これをきっかけに、他の地域でも連携が生まれることを望んでいる。
三者協働で「農業で幸せになる人」を増やしたい

そもそも、農作物の生産・販売で収益をあげているトップリバーが、産地育成と新規就農を通じて、地域の農業活性化に力を入れているのはなぜなのか。もちろん、同社は企業として利益を追求はするが、同時に「利他の精神」を育んできたからである。「親からもらったものを親に返しても意味がない。親からもらったものは子供に返していくべき」というのは嶋崎社長のご両親の言葉だが、それと同じようにトップリバーが手に入れてきたものを世に還元することで、地域に貢献していきたいという想いがあるそうだ。
「富士見みらいプロジェクト」の運営費のほか、農地取得・整備費用など、産地育成に関わる部分には、みらい基金の助成金が充てられる。支援先として決定する前から動き始めていたプロジェクトだが、みらい基金からの後押しを受けて、嶋崎社長の中に「必ず成功する」という自信が生まれたそうだ。まだ取り組みが始まったばかりだが、地域の農業に変化の兆しも見えてきたという。「若手の農家の方から、花きやセルリーだけじゃなくて『葉物も作ってみたい』という声が上がっています。この声が大きくなっていけばいくほど、産地が豊かになっていくでしょう。それにより、生産者としてより安定した収入が得られるとか、品目を増やすことで連作障害が防げるとか、既存農家のメリットも生まれると思います」と嶋崎社長。
まだ産声を上げたばかりの「富士見みらいプロジェクト」だが、その5年後のイメージが、すでに嶋崎社長の頭の中にはある。「7、8人のプロジェクト卒業生が素晴らしい経営者になって、農業の規模を拡大し、雇用を生み出し、そして富士見町で豊かに暮らす。そんなイメージです。農業というのは持続させることが大事なので、5年後は節目でしかないのですが、そのくらいの成果を出したいですね。とにかく、農業で幸せになる人を増やしていければと思います」この想いは小林町長も、雨宮組合長も同じだ。「農業で幸せになる人を増やす」を合言葉に三者の協働は続いていく。