旅のメインディッシュは観光名所ではなく「遠野の暮らしぶり」

日本民俗学の父、柳田國男が遠野地方の伝承を筆録した『遠野物語』が生まれたのは、1910年のこと。それから100年以上経った今も、『遠野物語』に出てくる河童や座敷童は、遠野で暮らす人の心の中で生き続けている。昔話に出てくるような景色を求めて、国内外から旅行者が訪れるこの地域では、グリーン・ツーリズムという言葉が一般的ではなかったころから、都市と農村の交流が行われてきた。認定NPO法人遠野山・里・暮らしネットワーク(以下、遠野山里ネット)の会長を務める菊池新一さんは、グリーン・ツーリズムに取り組む理由をこう話す。

「イギリスやスイスなど欧州の先進国では、国をあげて都市農村交流に取り組んでいます。農村の古民家を買ってそこに住むことがステータスになるくらい、都市に住む人も農村を大切にしているのです。遠野にもほかの農山村地域と同じく、人口減少や高齢化の問題があります。けれど、問題を抱えているのは農村だけではありません。都市の過密化も深刻です。都市と農村のバランスが今以上に崩れたら、この国がいびつになり、やがて都市も農村も衰退するのではないか、という危機感を抱いています」
遠野山里ネットでコーディネーターをしている田村隆雅さんは、グリーン・ツーリズムにおいて、旅のメインディッシュとなるのはいわゆる観光地ではなく、地域の暮らしぶりそのものだと話す。

「農家民宿で農家の人と旅行者が一緒にご飯をつくり、お酒を飲みながら世間話を楽しんで、家族や親せきといるときのように、心を開いて過ごしていただきたい。旅行者を遠野の暮らしの現場に引き込むことを大切にしています」
旅の魅力は観光よりも「人々の暮らしぶり」である、と田村さんが痛感したエピソードがある。イギリスのある大学の教授は、遠野市内の観光施設を案内しても、退屈そうな表情を見せていた。田村さんは焦ったが、その教授を農家民宿に案内したとき、状況は一変したそうだ。

「農家さんが手を合わせる仏壇や、壁に並んでいるご先祖さまの写真を見て、その土地で連綿と続く農家の暮らしが、教授の頭のなかに浮かんだのだと思います。その瞬間、農家民宿のお母さんと抱き合っていました。私たちが旅行者に何を求められているのか気づいた瞬間でしたね」
欧州で学んだグリーン・ツーリズムを遠野流にアレンジして再現
遠野市内にある「農家民宿 Agriturismo 大森家」を経営する大森友子さんは、遠野山里ネットの起業支援を受け、約5年前に農家民宿を始めた。もともと養護教諭として学校の保健室で勤務していたが、「食育」の大切さを広く伝えたいという想いが起業のきっかけになったそうだ。

「保健室に来る子供たちは、心や体に問題を抱えています。原因を突き詰めると、やっぱり「食」に行き着くと私は感じたのです」
大森さんは、小麦粉を練って固めたものをつまんで汁に入れてつくる「ひっつみ」や、大森家の名物料理のひとつ「ジンギスカンのたたき」など、この地域ならではの料理で旅行者をもてなす。旅行者はただ宿泊するだけではなく、大森さんと一緒に農作業をしたり、料理をつくったりする。
「夏ならトマトの収穫をして、採れたトマトでジュースをつくったり、残った果実でトマトソースをつくったりします」
隣り合わせで作業をしていると、農家と旅行者は自然と打ち解ける。やがて、旅に出た理由や、抱えている悩みなどについても会話が始まり、家族や親せきと過ごすときと同じような濃密なコミュニケーションが生まれる。都会で雑多な情報に囲まれ、迷子になっているような人たちにとって、非日常的な遠野の暮らしを体験することは、心を整える効果もあるのだ。
一方、海外から来た旅行者は、日本人とはまた違った過ごし方をする傾向がある。
「古民家そのものを見て感動したり、とくにどこかへ出かけるでもなく、縁側で寝っ転がって昼寝をしたり...そんな感じですよね」
せわしく観光地を巡るのではなく、その場にいることをゆったりと楽しむ。これこそがグリーン・ツーリズムの理想形ではないかと菊池さんは感じている。

「ヨーロッパのグリーン・ツーリズムを体験して衝撃だったのが、旅行者が何をするでもなく木陰でただ本を読んでいる様子を見たこと。人はその場に身を置くだけで、心が洗われることもあるということを学びました」
菊池さんがヨーロッパで見たグリーン・ツーリズムが、大森さんをはじめとする遠野の人たちの手によって再現されつつある。
旅行者が吸い寄せられ、やがて住み着いてしまう地域をつくりたい
遠野では、米をはじめ、ホップやワサビ、トマトなど多種多様な野菜も栽培されており、畜産・酪農も営まれているため、旅行者はさまざまな遠野の暮らしを体験できる。農家民宿に加え、日帰りで農家の暮らしの体験ができる「立ち寄り農家」というコンテンツも今組み立てているところだ。さらに田村さんたちは、被災した沿岸部地域を含め、東北の魅力を知ってもらうための取り組みも行っている。

「震災後、遠野は被災地の後方支援をおこなう主要拠点でした。遠野山里ネットでは、被災地での震災学習のプランをコーディネートしたり、農業の六次産業化をお手伝いしたり、さまざまな連携を続けています」
活動の輪を県内全域、東北全域へと広げていくためには、事業を担う人材の育成や、特色ある民間企業や団体との連携が不可欠である。人材育成と連携に必要なリソースを確保することが、みらい基金に応募したきっかけだったと菊池さんは話す。
「遠野だけでやれることは限られています。いずれは東北全体でネットワークをつくり、旅のバリエーションを増やしていきたい。みらい基金は、私たちの発想を尊重しながらバックアップしてくれるのでありがたいです」
取り組みを通じて目指すのは、「地域に暮らす人たちが、地域を誇りに思うこと」。実際に、農家民宿の大森さんは、起業後に地域をより愛するようになったそうだ。
「パプアニューギニアからウチに来た方が、「僕は愛する国で、愛する家族と暮らしていることを、とても誇りに思う」って私に自慢したんです。とても素敵だなと思って。日本人って「ここは田舎で何にもなくて...」ってすぐに謙虚になるでしょ。そうじゃなくて、遠野には魅力がたくさんあるし、ここに住んでいることに誇りを持っていることをもっと伝えていきたいと思うようになりました」

地域を愛し、暮らしを楽しむ人がいる場所に、旅行者は吸い寄せられる。家族や親戚といるときのような濃密な時間を過ごすことによって、一度きりではない交流が生まれる。菊池さんが目指しているのは、旅行者がこの地域で暮らしたくなることだ。
「旅行者がこの地域に愛着を持ち、何度も訪れているうちに住みたくなってしまう。それを最大の目標にして活動を続けていきます」
都市部から遠野を訪れた人が、人々の暮らしに魅せられて、ついには住み着いてしまう...100年の時を超え、新しい遠野の物語が始まろうとしているのかもしれない。