お茶も栗も、買い手はいるのに作り手がいない
四万十川の美しい流れと深い緑に抱かれた「道の駅四万十とおわ」。高知市や松山市などの都市部から2時間程度と、決してアクセスがいいとは言えないが、平日の昼間から多くの人が訪れる。お目当ては、四万十産の茶葉で作った「しまんと緑茶」「しまんと紅茶」や、大きくて甘い「しまんと地栗」を使ったスイーツ「しまんと地栗モンブラン」など。関東の高級デパートの物産展でも紹介されており、人気は全国区になりつつある。
道の駅を運営する株式会社四万十ドラマの畦地社長は、「生産者の高齢化と後継者不足で、お茶も栗も生産が追いつかず、商品の引き合いがあってもお断りせざるを得ない状況です」と話す。道の駅がある旧十和村地域には、10年前は3000人近い人が生活していたが、いまは約2800人にまで減ってしまった。進学、就職で若者が一度地域を離れたら、帰ってこないのだ。
旧十和村は川と山に挟まれ、急峻な土地が大半を占める中山間地域。この地域で暮らす合同会社広井茶生産組合のお茶作りの匠・矢野さんは、「春はお茶、夏はししとう、秋は栗、冬は菜花という具合に、さまざまな仕事をしています」と話す。農作物の大規模栽培が難しく、仕事を掛け持ちしなければ生計を立てることが難しいという。
四万十川流域は霧が発生しやすく、昼と夜の気温差が大きいため、渋みのあるお茶が育ちやすい。かつて輸入に頼るしかなかった紅茶の生産を、国内でいち早く始めた地域としても知られている。「生産者の高齢化、引退の影響で、いいお茶畑が山に還ってしまっています。それを少しでも食い止めようと、後継者育成をしているところです」と矢野さんは現状を話す。
特に春は一番茶を手摘みで収穫するので人手が必要である。手摘みか否かで商品価値は2倍くらい違う。生産量と品質を保つために、新しい力が欠かせないのだ。
「6次産業化人財」で四万十の宝をよみがえらせる
最盛期は四万十川中流域だけで約800t採れた栗も、一時期18tと40分の1の水準まで減った。産地を守るべく、四万十ドラマは近年栗の木を1万本植樹するプロジェクトを実施。35t、50tと生産量を増やし、数年後の100t台回復を目指している。
3年前、一般社団法人栗のなりわい総合研究社代表理事・栗作りの匠の伊藤さんが旧十和地域に移住し、生産者に指導をすることで品質も大幅に向上しつつある。栗の重さは全国平均で20gとされている。しかし、ここの栗は25g以上、大きなもので40g以上のものもある。大きいから大味ということもなく、糖度も蒸した状態で20度近くと高く、非常に甘い。
「土づくりをはじめとして、栗の木が育ちやすい環境を作ることが大事。品質のカギとなる枝剪定では、木の力を引き出す考え方を伝えています。農薬を使わず、鳥に虫を食べてもらうことで葉の食害を減らしたり、イガをすぐに片付けることで果実害虫を防除したりしています」と伊藤さん。
この地域で移住促進と人材育成を行っている一般社団法人いなかパイプの代表、佐々倉さんは、「伊藤さんの栗の栽培ノウハウを聞いて、農業に興味を持つ人もいます」と話す。今年、他地域からやってきた研修生は3名。そのうちの一人、福田さんが興味を持ったきっかけは、「農薬を使わずに、自然栽培で栗を栽培できるところ」だという。同じく研修生の渡辺さんは、「この栽培方法で、これだけの収量が期待できて、売上はいくらになるという具合に見通しを立てられるので安心しました」と話す。
ただし、この地域では単一作物の栽培だけでは生計を立てられない。「お金を稼ぎたいなら、もっと平地で広い土地が使える別の地域で農業をしたほうがいいよと伝えています。お茶や栗、他の仕事を組み合わせて、複合経営をしながら四万十川のほとりで暮らしていく。そんなチャレンジをしたい人を求めています」と佐々倉さん。
この地域には、畑仕事だけでなく、お茶や栗の加工の仕事もある。パソコン仕事ができるなら、それをしてもいい。第1次産業、第2次産業、第3次産業のさまざまな仕事を組み合わせて、この地域で暮らしていける人(6次産業化人財)を増やし、お茶栽培の矢野さんの技、栗栽培の伊藤さんの技を、この地域に残していくことが、佐々倉さんの願いだ。
「いつか地元に戻りたい」と思われる地域にしたい
取り組みはまだ始まったばかりで、課題は多い。農業生産の現場では、高齢化と人手不足の問題がある。お茶と栗の加工設備も、生産量を増やすためには十分とは言えない。四万十ブランドを広めるために、「しまんと紅茶」や「しまんと地栗」を活用した新商品も継続的に生み出す必要がある。そうした課題を解決するために、四万十ドラマは、みらい基金への申請を行った。
助成金は、地域の農業を守る担い手の育成、お茶と栗の加工量を増やすための設備、そして新商品の開発とそれをブランド商品として全国に広めていく体制づくりなどに活用される。この先、四万十ブランドの商品の引き合いがさらに増え、それに対応した生産設備が整備されれば、生産者の生活は安定するだろう。この地域で暮らしたくなる人も増えるはずだ。
若い人が離れていく一方では地域の産業が衰退する。いなかパイプの佐々倉さんは、「移住を促し、地域の担い手に育てあげることで、この地域の歴史を途切らせることなく、100年先の未来につなげていきたいです」と話す。
広井茶生産組合の矢野さんも、「旧十和村は小学校が2校あるけれど、両方合わせても生徒は100人いません。取り組みを通じて一人でも多く子どもが増えてほしいです」と思いを重ねる。
栗のなりわい総合研究社の伊藤さんは、「この地域は平地が少ないから、一つひとつの栗園は小さく、栽培に向いているとは言えません。だからこそ、ここで成功すれば、どこでもできるといえる。この地域の事例は、ほかの中山間地域で応用できます」と話す。
そして四万十ドラマの畦地社長は、「都市部から遠い中山間地域でも、お茶、栗という足元にあるもので勝負できるところを見せたい。地域の宝物を磨いて、きちっと世の中に出していく仕組みを作ります」と決意を語る。
地域の宝物が輝き出せば、一時的に進学・就職で離れて暮らす若者たちも振り向くはずだ。四万十川のほとりで始まった「帰りたくなる田舎づくり」は、日本全国の中山間地域を勇気づける取り組みになるだろう。