農園で汗を流すハンドボール選手たち
博多から西へ約1時間足らず、美しい海と緑豊かな山に抱かれた糸島市。市内にある日高農園は、朝からイチゴの出荷業務に追われていた。若く体躯のいい男性たちが、準備のために収穫、箱詰めなど忙しく動き回っている。彼らは2016年春に発足したハンドボール実業団「フレッサ福岡」の選手だ。
選手たちは入団時からチームの提携農園で、イチゴ、ブドウなどの農作物を土づくりから徹底的に学んでいる。2年を目安に、農業従事者として自立することが目標だ。ちなみに「フレッサ」はスペイン語で「イチゴ」を意味する。
日高農園で働く栗崎選手は、「入団前は社会科の教諭でした。学生時代にケガで断念せざるをえなかったハンドボールを納得いくまでやりたいという想いと、人手不足と高齢化が進む地域の農業に貢献したいという想いで、ここに来ました」と入団経緯を教えてくれた。チームメイトの筒井選手は、「イチゴを管理するのは大変ですが、おいしいものができるとうれしいです。農業を通じてこまめな管理の大切さを実感し、自分のコンディションにも、より一層気をつかうようになりました」と話す。
彼らに農業を教えている日高農園の日高さんは、「最初に選手たちがここ来たとき、私の話すことを一生懸命メモしていました。彼らは農業について何も知らない。だけど、知らない世界に飛び込む覚悟ができている。これは期待できると思いましたね」と選手たちの印象を話してくれた。
多くの選手が、現役を引退した後も農業従事者として生計を立てられる点に魅力を感じて、フレッサ福岡に入団している。スポーツ選手は野球やサッカーなどのメジャースポーツでさえ、セカンドキャリアの見通しが立ちにくく、満足できる仕事にありつける保証はないからだ。
一方で、糸島地域では高品質な蘭やイチゴが栽培されてきたが、近年は担い手不足の問題が深刻化し、耕作放棄地も目立ってきた。選手のセカンドキャリアの問題と、地域の農業課題の解決に貢献すること。それがフレッサ福岡の目指すところである。
一枚のイチゴの写真が、ハンドボールと農業をつなぐきっかけに
フレッサ福岡のオーナーである泉さんは「Biomaterial in Tokyo」というバイオサイエンスをおこなうベンチャー企業の代表を務めている。東日本大震災で研究所が被災した関係で、故郷の九州に戻り、興味を持っていたイチゴの栽培準備をはじめた。
「イチゴの準備を進めるなかで、糸島の農業の実態を知りました。かつて蘭の栽培が盛んでしたが、人手不足ですし、輸入品に押されて収益性も落ちてきた。蘭の栽培設備もあまっている。どうにかしたいと思いました」と泉さんは話す。そんなある日、Facebookにあがった1枚の写真に泉さんの目が留まる。それは日高農園の日高さんのイチゴの写真だった。泉さんはすぐに連絡をとり農園に足を運んだ。
「ウチのイチゴを見たいと言う人は結構いて、泉君はその一人だったんです。何度か話し合いを重ねて、この地域のために同じ方向を見てやっていける人物だとわかり、意気投合しました」と日高さん。実は、日高さんはこれまで、胡蝶蘭やトマトを品種改良し、成功した高い技術の持ち主。イチゴについても、必要な労働力と販路を用意できれば、期待に応える栽培をしてみせると約束した。そこから、「農業×スポーツ」の取り組みに発展したのである。
また、泉さんは中東諸国向けに農作物を輸出する株式会社High Speed Greenの代表でもある。選手たちが作った農作物は、ドバイやアブダビに輸出され、現地では贈答用品になっているそうだ。このほか、チームのホームページから通信販売をしたり、地域の直売所、各地のイベントなどで選手が販売することもある。
しかし、選手たちは全員が農業未経験。何から何まで初めてづくしで、一生懸命にやっていてもトラブルは起こってしまう。「肥料のやり過ぎや水のやり忘れ、ハウス閉め忘れなど、ミスはいっぱいあります。農業をしている私の母から、『あの子たちは農家としての立ち居振る舞いができていない。一人前になるためには時間がかかるね』と言われてしまったことも。まだまだこれからですね。」と泉さんは現状を明かす。
1年間で一番の収穫は、農業の厳しさを知ったこと
フレッサ福岡の取り組みがスタートして1年。泉さんいわく、一番の収穫は農業の難しさに気づいたことだという。「ある農家さんに『泉さんはいつまで糸島におるつもり?』と言われたんです。その方は『あんたもうじき50歳やろ?例えば65歳までには、あと15回しかイチゴを栽培できん。バイオの実験みたいに何千回もできるわけじゃない。ウチは米農家として先祖代々米作りをし、200回収穫した。あんたはあと15回でこの事業をどこまで底上げするつもり?』とおっしゃった。それを聞いてゾッとしました。農業を舐めとったと思いましたね」と泉さん。あらためて謙虚に農業と向き合うことを心に決めた瞬間だった。
さらに、この1年で、地元JAの存在価値に気づかされたという。「JAにはセーフティーネット的な機能があるから、地域に絶対に欠かせないんです。JAがあるから農家は、全量販売の目途が立ち、安心して生産に力を注ぐことができる。自分で農業をはじめてやっとわかりました」と泉さんは語る。
農業は甘くない。しかし、フレッサ福岡の選手たちはまだ若く、20代が多い。農業の世界ではピカピカの若手である彼らが、地域に加わっただけでも大きな意味がある。糸島の農業のバトンを、未来につなぐ役目を果たせるからだ。日高農園の栗崎選手は、「まだまだ勉強が必要ですが、ゆくゆくは経験を積んで独立し、選手の受け入れ先になりたいです。そうすることで、地域の農業を次世代に繋いでいけたらと思っています」と夢を語る。筒井選手も、「僕らがつくったイチゴを国内外のいろいろな場所で販売して、フレッサ福岡の活動を発展させていきたいと思います」と未来を思い描いている。
今回の取り組みが、みらい基金に採択されたことにより、地域からの応援の声も大きくなったという。「昔を知らない若い人が来てくれたほうがいいんですよ。昔のことを知っている人は、口出しばかりして昔と同じにしちゃうからね。これからは、若くて元気な人たちを、僕たちがサポートしてあげないとだめだよね」と日高さんも選手たちが地域の担い手になることを期待している。
ハンドボールのコートを飛び出し、農園で躍動する選手たち。前後半30分で決着がつくハンドボールの試合とは違い、農業には終わりがない。けれども、農業は続ければ続けるほど農作物はおいしくなり、地域に活気が生まれる。今日もフレッサ福岡の選手たちは、勝利を目指して農園で汗を流している。試合はまだ始まったばかりだ。